昭和四十三年九月二日 夜の御理解


 ただ今より、昭和四十三年九月二日夜補御理解を頂きます。お道の信心は喜びに喜んでやらして頂く道を喜びに喜んで道が開ける。喜びに喜んでおかげを頂くと言う人。けれども、そんな人が難儀であり、それを喜びの道をはっきりさせて頂くのです。けれども、合楽の難がみかげになっていくというのではなくて、喜びが御影になっていくという、おかげを頂ける道だと言うことを私は感じますね。今朝からの御理解を頂いた事なんですが、今日昼間から、お参りをして見えたり、いろいろ私の今朝のお話を頂きながら、頂違いをしておったり、とにかくお話を頂ながら、もう悲しうなったというて、又御真意を伺いたいと見えたんですけど、又、それを説明させて頂いたのですが、いわゆる分かっていないのです。私の非常に今朝の御理解通り難しいところに入らせて頂くことを覚悟しておった。今日、最近私は久しく新聞を見ませんが、今日私の所へ夕刊をもってきた夕刊を見せて頂き、これはもう以後私が夕刊を見ておる時分から、ここは私に神様が物言い下さる*だと見ているところに、一月から十二月の一年間の月々の何月生まれの人のその日の運勢が書いてあるところがござましょう。今日も私はそこんところを見せて頂いてから、まったく気付かせて頂いた事があった、というなら、こんな事が書いてあるんですね。あなたの今日の不平不足の元はね、あまりに高度の所に思いをおいておるからだと書いてある。だから、程度をおさげになったらどうですか、と書いてあるんですよ。私は、それを読ませて頂いてですね。私の今日の中に申しましたように喜びに喜んで開けた道とおっしゃるのに喜びが喜びの信心の道を切り開いて新たな新天地と言うものが開けていくようにと拝まにゃならんのに私の夕べから言うなら、不平である不足である。いくら言うてもいくら言うても皆さんはわからん家族ものがわからん。そして、思い立ったのは、これは結局わからんのではない。わからんのはこっちだと分かったところから、そこではそんなら、私は今のようなことではいけないというて、今日の御理解になった訳なんです。いうなら、元はやはり、いくら言うてもわからん。言い聞かせてもわからん。そう言う不平、不足が元である。不平、不足を元にして信心の道を開いて行こうとする所に難しさがある。やはり、寂しさがある。悲しさがある。私はそれを見せて頂いてからね。こりゃ、間違っておったぞ。やはり、もっともっと喜べる道を体得して、そしてその喜びが次の信心の境地を開いて行く。新しい天地を開拓して行かなければお道流ではない。こりゃ、程度を変えなければいけないなと思った。夕方から、思いを変えた難がみがげ、難があって喜べとおっしゃるから、それがね、あの初*前でなからなければならない。だんだん、お道の信心が分かってくれば、いわゆるわが心一つを求めていく。いわゆる和らぎ、喜ぶ、心一つを求める、追求させて頂いてその和らぐ心、喜ぶ心をもっておかげを受けていくと同時にその喜びの心がいやが上にも新しい信心の境地をこう押し進め、押し広げていくという私、生き方でないと私はお道流儀でないとまあいうならば、自分の信心上の行き詰まりも昔の仏教なんかでたとえば、妻も捨て、子も捨て、そしてその山奥にいわば、隠とんして、隠れてしまうそこで、たとえば、又、新たな信心の道を開こうとするもう私どもの考え方をそういうような仏教的な考え方であったなといったようなことを反省させて頂いたのですけどね。今日のその新聞を見せて頂いてから、なるほど、程度を下げたらどうですかと信心の程度を下げるというのではない。けれども、お取り次ぎさせて頂くものの私は気持ちというものがいわゆる不平不満ではない。喜びで開いていこうとする生き方、自分の信心をまあ程度下げんにしても今通りのところにおいたら、あとは楽になる。そして新たに喜びをもって押し進めていくところの信心のおくがというかね、進めたいというふうに今晩決心させて頂いた訳です。本当に神様がね、いつもね、昨日から、今日一日そういう意味合で修行させて頂いたら、けれども心はますます進んでいく心はますます落ち着いていくいわゆるまだ何処へ入っていってよいやら、もうその訳すらわからなかった。けれども、今日一日そう意味での修行させて頂いたら、夕方そのようなおかげを頂いた。天地が私にもの言いつけて下さるようにそのような送り合わせを頂いた。そして、お道の信心を何処までも喜びでおかげを受けていく道であり、同時に喜びで信心をすすめていく道だということを改めてわからして頂いたような気がいたします。どうぞ。